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愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

森田芳光

○『(ハル)』

 深津絵里・内野聖陽主演。パソコン通信(当時まだインターネットとは言わなかった)で知り合うラブ・ストーリー。『ユー・ガット・メール』よりも先を行っていた!

 静かな映画である。音楽も抑えめだしセリフもそんなに多くない。そして何より2人のやりとりがパソコン上なので、文字で展開される。セリフの代わりに画面に文字が現れるのは斬新だった。「読む」映画なのである。淡々としていて静かなのだが、文字や画面から心情がじんわり伝わってくる。

 パソコンを始めて思うことは、「顔も知らない相手と言葉を交わすって不思議だな」ということ。この映画ではパソコン通信でやり取りする2人の日常も描かれている。当たり前のことだが、パソコンで繋がっている先にも相手の人の日常があるということ。ネットから伝わってくる相手の情報は僅かなものだが、繋がっているという実感が人々を歓喜させるのだ。

 主人公の2人は淡々とパソコンでのやり取りを続けるが、ラスト近くで映画ならではの偶然が起こる。そこから急に映画が色彩を帯びてきて人間臭くなってくる。そして2人のファースト・コンタクトである新幹線のシーンは感動的。泣ける内容じゃないはずなのに、なぜかジワっとくる。新幹線の窓から見える、赤い服を着た深津絵里がとてつもなく切なくいとおしい存在に見える。

 無機質なパソコンというツールから、温かくも繊細な心情をすくい取った傑作。

○『失楽園』

 一大センセーショナルを巻き起こした渡辺淳一の同名小説の映画化。映画自体もヒットした。でもこの小説になぜこれほどまで人々が狂喜したのかよくわからない。中高年の性を描いた作品は別に少なくないと思う。やっぱり行き着いた先が「心中」だったのがミソだろうか。それにしてもなぁ。

 不倫という後ろめたい関係の末、心中してしまう中年の男女の話。禁じられた愛の究極的な形はやっぱり「死」なのか。愛を交わし続けることを禁じられた2人はその愛情を閉じ込めるために死を選ぶ。その気持ちはわからなくもない。『近松心中物語』に近いものがあるのだろうか。よくわからないけど。

 主演は役所広司と黒木瞳。役所広司はいい俳優なんだけど、この映画には合わない気がする。役所広司ってどこかギラギラしていて絶倫っぽい感じがする。まぁ確かにこの主人公は絶倫なのだが、もっと枯れた雰囲気を出して欲しかった。現実感はあまり無い。
 黒木瞳はまぁまぁハマっていたかなと思う。他に当てはまる女優があまり浮かばないからな。ただやっぱり現実感が無い。なんだか役所広司と黒木瞳の心中物ってもの凄く遠い世界に思える。別次元ぐらい遠い。だからストーリーにはまり込んだりとか共感したりとかいうよりも、ファンタジーとして「映画の嘘」を楽しむのが正解かもしれない。

 この映画を見てポォーっとしてしまった中年男女に警告。この物語は役所広司と黒木瞳だから成立しているんだよ。

○『39 刑法第三十九条』

 刑法第三十九条、つまり「心神喪失者の行為はこれを罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減刑する」という法にメスを入れた社会派サスペンス映画。99年度作品。

 この映画は社会派サスペンスの部類に入り、割と堅めの題材であるが、森田芳光の映像センスはここでも光っている。

 映像はフィルムを現像する際に銀色を多く残す「銀残し」を使い、全体的にグレーっぽい色合いになり、沈鬱な雰囲気をかもし出している。
 音響面でも、冒頭の現場検証シーンで刑事の声やパトカーのサイレン音をブツ切りにし、生理的嫌悪感を煽り緊迫したムードを高めている。
 カメラワークもかなり凝っていて、わりと動きが多い。カット割を細かくし、あえてピントがボケた映像を挟み込んだり、時には暴力的にカメラが動いたりと迫力のあるシーンが連続する。このように他の監督がやらないようなことを次々とやってのける監督である。

 主演は鈴木京香。この映画では全編ほぼノーメイク、黒ぶちメガネという暗めの出で立ちで登場する。彼女が演じるのは、精神鑑定人・小川香深。殺人を犯した父親が目の前で自殺したという過去の傷を持ち、精神を病んだ母親と2人で暮らしているという、かなりわけありな役柄である。
 鈴木京香は見るたびに顔が変わる女優である。コミカルな役も出来るし、かっこいいキャリアウーマンのような役もこなせる。またこの映画のように、トラウマを抱え、内に閉じこもってしまうような役も安心して見られる。日本映画界で、オーラと実力を兼ね備えた希少な存在であると思う。

 被告人である相手役に堤真一。二重人格という役柄であり、善良な面と凶暴が表裏一体の男を熱演している。拘置所の面会室で、突然邪悪に豹変するシーンは見ものである。やはり舞台で力を培ってきただけに、こういうぶっ飛んだ役柄が似合う。

 この他に脇を固める役者も、非常に通好みの豪華キャストである。杉浦直樹・岸部一徳・江守徹・樹木希林・吉田日出子といった芸達者なベテランたちが並ぶ。この映画が他の映画と異なり特徴的なのが、これらの登場人物がみな一様にうつむきがちでボソボソと話す、という点である。法廷ドラマというものは、弁護士も検事も大声を張り上げ自説を主張するが、ここで彼らは自閉症なのかと思わせるくらいに声が小さい。自意識の鎧をまとい、他人を信用しようとしない人たちばかりなのである。そんなところも、この映画が普通のサスペンスで終わらないところである。

 ストーリーの中に、密室で行われる精神鑑定の様子が描かれており、興味深い。精神鑑定人と被告のかけひきに緊張感が漂う。ラストでは法廷内での公開精神鑑定が行われ、とてもスリリングである。

 そしてこの映画は、ただ単に刑法第三十九条の是非を問うだけではなく、精神鑑定のあり方、加害者・被害者の人権、被害者遺族の心の傷など、多くのものを観客に突きつけてくる。少年法といい、この刑法第三十九条といい考える余地はたくさんありそうである。

 ストーリーはやや都合が良すぎるところがあるにはあるが、精神鑑定の落とし穴である詐病を描くためには仕方がなかったのかもしれない。ラストのどんでん返しは、すでに途中で読めてしまっていた。

 見終わった後に、無残な少女の遺体と共に何か重~いものが残る映画である。従来の法廷ドラマ、サイコ・サスペンスの常識を覆す力作であることは間違いない。

○『黒い家』

 これはもう大竹しのぶのための映画である。この年、大竹しのぶは『鉄道員』とこの映画に出演したが、その落差ったら凄い。女優魂炸裂である。

 貴志祐介の同名小説が原作。角川冬のホラーとして製作された。ゾクゾクするというよりはハラハラさせられるホラーである。
 保険金殺人をテーマにした微妙に社会派かもしれない映画である。ちょうど和歌山の事件もあった時期だし。しかしそんな「社会派」という言葉も大竹しのぶのハイブリッドな芝居に吹っ飛ばされている。

 中盤、内野聖陽演じる主人公が恋人を救出するために、大竹しのぶ演じる菰田幸子の家に潜入する。そこに菰田幸子が戻ってくるシーンは『シャイニング』のようなスリルを味わえる。頭ボサボサで一見普通のオバサンである菰田幸子は、目が異様なオーラを醸し出していてモンスター的な様相を見せている。

 そしてラスト、いったん消え去ったと思われた菰田幸子が再び主人公の前に現れる。ここからはアクションとブラックな笑いだ絡みあった、怖いんだか何だかよくわからないカオスな世界が繰り広げられる。

 この映画はホラーという括りではあるが、随所にブラックな笑いが挿入される。西村雅彦がヅラ被って気持ち悪かったり、大竹しのぶが全身黄色で独りでボーリングしてたり病院の中をビニール袋に入った腕を持って走っていたり、内野聖陽の水泳のフォームが不恰好だったり。そんな怖さと笑いが同居している点がこの映画の面白いところである。

 登場人物がみな死んだような目をしているのも面白い。そしてみんな殻に閉じこもったような奇妙な人々なのだ。森田監督は普通じゃないキャラクター描写がとても上手い。

 菰田幸子に監禁されてしまう田中美里の演技が凄かった。田中美里というとつかみ所無い女優だという認識があったが、ここでは大竹しのぶの次にインパクトに残る芝居を見せている。恋人が救出に来たとき、半狂乱になっており前歯が抜けてしまっているのだ。事務所的にはオッケーだったんだろうか。凄い芝居ではあるが、彼女にとっての汚点にならないことを祈る。

 やっぱりこの映画はホラーじゃない。奇妙な人々の普通じゃない行動を楽しむブラック・コメディである。嫌いな人は嫌いな映画だろうが、私にとってはかなり好きな映画である。

○『模倣犯』

 この映画は試写会で観た。宮部みゆきのベストセラー小説の映画化作品である。

 原作は読んでいないが、かなり量が多い小説らしい。それを2時間に収めるのはどだい無理な話であったのか、かなり期待はずれな結果に終わってしまった。キャラクターの描きこみが足りないせいか、物語の上辺をなぞるだけで全く感情移入ができない。それなりにメディアへの批評などを込めたつもりなのであろうが、見終わったあとに考えさせられることは全くなかった。

 ラストシーンは賛否両論らしい。私はあのラストシーンはひどいと思った。監督がこの映画をどういう映画にしたかったのか、まったくわからなくなった。ただ奇をてらったのであれば、最低のシーンである。

 主演はSMAPの中居正広。彼はこの映画で新境地を狙ったのであろう。しかしというかやはりというか彼に知的な役は無理だった。個人的にダメだなと思ったのは、彼の甲高いしゃがれ声。どうもスクリーンに映えない声なのだ。津田寛治の大仰な芝居もちぐはぐな感じがしてダメだった。唯一、小池栄子がアバズレ女を好演していた。

 この映画のために制作したCM映像をザッピングしたり、携帯電話やインターネットというツールを多用したりとトリッキーな演出は面白いが、それがストーリーの邪魔をしている印象は否めない。殺人を犯す人間の心理や被害者遺族の心情などをもっと深く描きこんでほしかった。

 この試写会に来ていた観客はほとんどが20代後半から30代の女性。明らかに中居正広ファンである。私が友人と中居正広の悪口を言っていたら、隣の女性の携帯の待ち受け画面が中居正広だった。怖。そのためか映画を観るマナーが非常に悪かった。というのはほとんどの客がエンドロールを観ずに帰ろうとしていたのだ。しかも大声でベチャクチャ喋りながら。憤慨。

 鑑賞後のロビーで、泣きながら壁を叩いている女性がいた。「あたいの中居クンをあんなことにしやがってー」ということであったのだろうか。あれには正直、笑わせてもらった。


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